2012年3月13日火曜日

インドシナの歴史について簡単に教えてください。

インドシナの歴史について簡単に教えてください。

あの辺りの歴史を掘り下げて学ぶ機会はあまりないので、

中国史や欧州の歴史についてはやりますが、あまりあの地域についてはやらないようです。

ちゅんちゃっく、ちゅんに、という名前しか知らないです。名前が覚えやすいので覚えています。

あの辺りでは、タイが一番栄えているのでしょうか(植民地にならなっかったので)

バーツ経済圏というのがありましたね。今でもあるのでしょうか?

今はベトナムが急激にタイを追っていて、勢いだけならタイよりも上でしょうか。

カンボジアはポルポトが殺しまくって人的資源の枯渇でしばらくは浮き上がってこないのでしょうか。

ラオスは内陸国で日本と風土風習が一番良く似ているのでしょうか。

ミャンマーは、ビルマの竪琴しか思い当たりません。

ラオスとミャンマーは基本的に情報があまり入ってこないのでしょうか。

昔の日本はインドシナからインドまで陸路で攻め込むつもりだったのですね。(飢え、病気で多くの犠牲が出たようです。)

インドシナの国は日本との相性は良くないのでしょうか・







インドシナ半島の歴史ですね?現在のインドシナ国家はベトナム、カンボジア、ラオス、タイ、ミャンマーの五ヵ国。

【ベトナム】細長い国ですので、南北に分けて話しましょう。秦漢代からおよそ千年は、中国の支配下に置かれました。チュンチャク、チュンニ姉妹は1世紀の半ば頃、後漢からの独立をはかりましたが失敗。北部は以後千年に渡って中国の支配下にありました。南部はチャンパー(林邑→環王→占城)が中継貿易で栄えました。ただ、世界遺産アンコールワットを造ったクメール王国の圧迫や、11世紀に北部が安定した政権が誕生すると次第に衰退していきます。チャンパーは軍事的にはそれほど強くなかったそうです。李朝→陳朝→黎朝と王朝が交替しますが、一時中国(明の永楽帝)の支配下に置かれますが、直接統治は困難とかんがえた明がします。直接統治を諦めただけで、朝貢関係で中国が上位であるふうにはしたようです。

【カンボジア】古い時代はここが強かった。1世紀頃、クメール人が扶南を建国しますが、7世紀に同じクメール人の真臘に滅ぼされます。これがアンコールワットを造ったクメール王国。アンコール朝とも呼ばれています。ベトナム南部にあったチャンパーを圧迫したりしてます。14世紀にタイに攻められ衰退したようです。それ以後は、タイやベトナムの顔色を伺うことになります。

【タイ】現在我々のイメージするタイの原形は13世紀のスコータイ朝。ラーマカムヘン王が現在の領域ぐらいまで支配しただろう、と言われていますが、死後、南のアユタヤ朝に圧されて行きます。アユタヤは江戸時代の初め日本人町があったことでも有名です。アユタヤ朝といっても、単一の王家が支配したわけではなく、王家の交代が結構あります。アユタヤ朝は18世紀半、ミャンマーに滅ぼされます。

【ミャンマー】

11世紀半のパガン朝が最初の統一国家。パガン朝は元のクビライの遠征で衰退、ミャンマーの勢力の回復は16世紀まで待つことになります。18世紀アラウンパヤ朝は隣国タイのアユタヤ朝を滅ぼすなと勢い盛ん。しかし…。18世紀、産業革命を成し遂げたイギリスの魔の手が、19世紀ミャンマーにも襲いかかります。

【ラオス】ラーオ人の小国家が、周辺の勢い盛んな国家に服属するような形でした。

…ざっとイメージはわきましたでしょうか?

古い時代はカンボジアが覇権を握り、カンボジアが衰えると、ベトナム、タイ、ミャンマーの三國志、そこに力衰えたカンボジアやラオス(複数の小国家ですが)が大国に従う、というミニ中華世界が展開されていました。ヨーロッパ勢力が押し寄せるまでは…。

【ヨーロッパ勢力の到来】1858年インドを植民地化したイギリスは1886年、ミャンマーを植民地にします。イギリスと犬猿の仲のフランスはインドや新大陸での植民地獲得競争に負け、イギリスの勢力がまだおよんでいないベトナムに目をつけます。残ったタイは?唯一独立を保つことが出来ました。国王中心の改革が進んでいたこと、タイよりも魅力的な植民地候補があった(中国)ことにより独立を保ちました。インドや新大陸の争いは避けたのでしょうね。

『世界各国史 東南アジア 大陸部』(山川だったかな?)『世界の歴史 13 東南アジアの伝統と発展』(中央公論社)あたりがオススメです。

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